Interview with a Top Runner

02 Tetsuya Ogasawara

Part of the Career Path

  • 入社
  • 新卒 2002年
  • 2002年 工機事業部 生産統括部 設計課
  • 2003年 工機事業部 技術部 設計2課
  • 2009年 開発本部
  • 2018年 グローバルハンドカンパニー 技術部 技術2課
キタガワ グローバルハンド カンパニー 技術部 技術2課 課長
課長 小笠原 哲也Tetsuya Ogasawara

時代がどれだけ変わろうと
「ものづくりの姿勢」は変わらない

初めて小笠原さんとお会いしたのは、技術部のフロアだった。
ここでは、Kitagawaの主力商品のひとつ、NC円テーブルの設計が行われている。
 
小笠原さんは3つのモニターの中央で画面を見つめ、図面の最終確認を行っている。
メモが書き込まれた書類とモニターの間を視線が何度も往き来する。

その無駄のない洗練された動きは、
20年間ものづくりの最先端を走り続けたエキスパートの姿そのものだった。

ものづくりの本質を忘れない社風に
私は自分の未来を懸けた

小笠原さんが就職活動を始めたのは2001年。どんなスタートだったのだろうか?

当時日本はITバブルが崩壊して就職氷河期に入り、
学生の中には内定を1つもらうことも難しい人もいる厳しい時代でした。
 
私は広島県を中心に就職先を探していて、Kitagawaを知りました。

日本では景気が悪化。世界ではアメリカ同時多発テロがあった年。
社会情勢に対する不安や、自分に適合した会社に出会えるかの不安が折り重なる中、
ポテンシャルの高い企業を探すことがカギだったと小笠原さんは振り返る。

Kitagawaとの面談時に貰った資料と社報の中に掲載されていた、北川祐治社長(現:代表取締役会長兼社長)の『ものづくりの原点に回帰する』という言葉を私は今も覚えています。
 
製造業として鋳物製品・工作機械機器・産業機械の製造から販売まで一貫で行われていることと、常にものづくりの本質を問いかけ、将来を見据え続ける姿勢。
私は会社への期待と自分の明るい人生への希望を重ね、Kitagawaへ入社したいと強く思いました。

マザーマシンを設計する責任
機械が支える街の豊かさを意識した瞬間

入社後は設計課に配属され、NC円テーブルとバイスを設計するグループに所属(現在グループは別になっています)。NC円テーブルの設計を担当していた小笠原さんは、当時の仕事内容や事務所の雰囲気をゆっくりと思い出す。

NC円テーブルは”マザーマシン”が高精度な部品を作るために、なくてはならないものです。
お客様に納品する際は、既存の製品からお客様の要望ごとにカスタマイズしています。
その一部改変された図面を書くことが入社当時の主な仕事でした。

既存のNC円テーブルの機能も含め、改変される主旨を把握するのに精一杯で、ミスも多くしていました。
周りの先輩たちに質問すると、知識が少ない私にも解りやすく説明してくれましたし、どの資料を見れば良いか、知識や情報を集める方法も教えてもらいました。
おかげで、コツコツと設計の実績と知識を積み上げることができました。

半年後には、取扱説明書の作成を任された小笠原さん。
NC円テーブルはその機種や仕様、商品ごとに説明内容も異なるため、変更された箇所の全てを新たに書くこともある。

図面を引いてNC円テーブルの構造や緻密さを、取扱説明書を書いて使用目的や役割を理解していきました。

こうして私が書いた図面をもとに作られたNC円テーブルが、膨大な数の部品を作りだし、お客様のものづくりを支えている。さらにその製品が、日常に暮らす人々の生活の豊かさにも繋がっているのだと思うと、改めて設計の責任とその可能性にワクワクしました。」 

※マザーマシン…工作機械のこと。 「機械を作る機械」のため「母なる機械」と呼ばれている。

研鑽を積む人に
新技術への閃きは降りてくる

開発本部で既に開発に成功していた摩擦接合機の技術を活かし、さらなる製品開発・市場開拓への期待から、入社7年目の小笠原さんに声がかかった。

設計課でグローバルハンドのNC円テーブルを設計していた経験を活かし、小笠原さん自ら企画を提案。
当時業界で”最も胴厚の薄い円テーブル”として開発を成功させたという。
それが現在も主力商品のひとつであるNC円テーブル”CK160”だ。

『ウォームホイールとスピンドルを摩擦接合機で接合すれば、胴厚の薄い円テーブルが出来るのでは?』と考え、製作方法を提案しました。

しかし、試作段階でウォームホイールの穴の中に入れるスピンドルが全く接合できないという壁に阻まれました。
調べてみると教科書に書いてあるくらい、ウォームホイールで使われている高力黄銅は接合が難しいということが分か
り日々悩んでいました。

開発とは、今までに経験のない課題に取り組むことと同義だ。
そのうえ、開発と同時に「製品化」という最終ゴールに到達することが求められていた。

 来る日も来る日も実験の繰り返しでした。
技術者として単にいいものを作ろうとするとコストが跳ね上がってしまいます。
製品化に必要な性能と量産の両立を目指し、『より良い形状は?加工者が加工しやすい形は?低価格で販売するには?』と、その製品をどう作るのかもイメージしながら、折り合いも考えなくてはいけません。

一生懸命考えていましたが、良いアイディアが閃くのは意外にも帰宅途中や、休日のお風呂の中でしたね。

実験という経験と、知識を積み重ねて初めて新しい発想は生まれる。
技術者として自分の考えたものを具現化することが仕事の醍醐味だと笑顔で語る小笠原さん。

試行錯誤を続けた結果、ウォームホイールとスピンドルを摩擦接合で接合できたことで、超コンパクトなNC円テーブルの開発を完遂できました。

販売開始1ヶ月以内に1つ目が売れたときは本当に嬉しかったですね。
この開発経験のおかげで製品を作り上げていくことの大切さを身につけることができました。

入社当初から小笠原さんのことを知る同部門課長も
『彼は研究熱心で、自分が”これ”と思って突き詰めたいことは時間を忘れてトコトンやります。その姿勢はずっと変わらないですね。』
と、敬意を込めて話してくれた。

経験が技術者を育てる
その仕組みを作るのが 上司であり会社の役割

NC円テーブル”CK160”を開発し、その後も開発本部で様々な開発に携わり続けた小笠原さん。
30代後半になり技術2課に戻った2年後に、今度は『技術2課で課長をやってみないか?』と打診されたときの率直な感想は?

正直、『開発を続けたいなぁ』 って思いましたね。
でも、『これまでの自分を会社が評価してくれたのだ』 と思い、お受けすることにしました。

私は開発部門に9年いましたが、これだけ長く開発業務に携われるのは稀かもしれません。
Kitagawaでは、同一部署に5年所属すると「そろそろ異動かな」と皆思っていますね。

会社の取り組みとしても「人事ローテーション」という方針で、5〜6年ごとに率先的に異動するよう取り組みがなされていました。

課員が製図した図面のチェックを行うことも、小笠原さんの役割だ。
若い課員の製図に関して、自身の経験とともに小笠原さんの心構えを聞くことができた。

経験が浅いため、思い込みによるミスはあります。
『失敗したら怒られる。周りに迷惑をかけるのでは。』と、心配すると思うんですよ。
でも、私や先輩たち含め、「誰もが通る道」ですから、ミスも経験の内として技術者の道を歩んでほしいですね。

仕事をするうえで肝心なのは、自分の仕事は必ずチェックを繰り返す習慣をつけること。
例えばCAD図面を複写して、画面外で重ねた形跡を残しておく。とかね。
それから係長や課長が、ダブル・トリプルチェックをします。

図面を次工程に渡すときは、部署全体の責任として渡す。
たとえそこでミスがあったとしても、本人に全責任を負わせることはしません。
むしろ、そうさせないための仕組みを作ることが会社の役割です。

『小笠原さんは仕事でも何でも、良い・悪い、好き・嫌いがハッキリしている方です。
部下にもその意志をストレートに伝えてくれるので、分かりやすく仕事がしやすいです。』
と、現在小笠原さんの下で働く部下からも頼りにされている。

設計と開発の担当者を経て、現在は設計の課長としてご活躍されていますが、
ご自身のキャリアを振り返っていかがですか?

Kitagawaでものづくりを続けた20年、どの課にいても『ものづくりの専門性を突き詰める』ことは一貫していましたね。これは就職活動していた時に読んだ現会長の『ものづくりの原点に回帰する』という言葉そのものだと思います。

40代になった今は、
課長という役職で後輩たちの育成に挑戦させてもらっています。

今後のキャリアとして希望されていることはありますか?

そうですね…。
今後のグローバル展開を見据えて、海外でも通用する製品の開発に携わるのもいいですね。
やっぱり、開発に関わり続けたいという思いは変わらないですし、それができ、一緒に取り組んでくれるのがKitagawaだと思うんですよね。